「金」の眼鏡で見た おカネの風景

銀器博物館から全てが盗まれた

 日本でほとんど報道されなかったこの事件は、銀の価値が様変わりしたことを如実に示しています。

 ヨーロッパでは、中世のころから銀の食器が地位のシンボルとされてきました。美しさもさることながら、銀はヒ素などの毒に触れると黒ずむため、お金持ちは身の安全のためにも銀の食器を好んだといいます。大小の皿やスプーン、フォークなどのカラトリーだけでなく、マスタードや砂糖の壺などもつくられました。

 オランダ東部のドゥースブルフの銀器博物館は、そうした優れた工芸品の銀食器を集めた博物館として知られています。開設以来数百年、盗難などとは無縁でした。ところが1月21日の未明、2人の男がバールでドアをこじ開け、陳列ケースを破壊して、300点以上のコレクションを全て盗んで逃走しました。残されたのは参考展示していた陶磁器だけでした。

 この街は古くからマスタードの産地で、容器の銀の壺はマスタードの成分で腐食しないよう、内側にガラスを張った精巧なものがつくられ、ヨーロッパでも最も裕福な人たちが愛用したといいます。

 工芸品としての価値は高く、展示品はよく知られています。だから、犯人が盗んだ銀器をそのまま売れば、すぐ犯行がばれてしまいます。博物館のブースフェルト理事長は「盗まれた銀器が溶かされないことを願っている」と語りました。しかし、理事長の願いは、おそらく叶えられません。犯人たちは、工芸品を溶かして銀の塊にしても、なお相当なカネになると考えて博物館を狙ったのですから。

 この犯行をもたらしたのが、銀の急激な値上がりであることは明らかです。昨年1月、銀の価格は1オンス=30ドルほどでした。それが1年後の今年1月20日には100ドルを超えました。3.3倍の上昇率です。

 重さ1kgの銀の大皿を盗んだとしましょう。1年前だと、鋳つぶせば960ドル(14万8000円)です。今年1月だと、それが3倍以上の3100ドル(49万2000円)になります。1年前はうまみの乏しかった博物館荒らしが、今年はうまい儲けになったのです。

 米国では別の異変が起きています。ブルームバーグ通信によると、コイン店や宝飾店に銀食器や燭台を持ち込む客が殺到しています。ある店の経営者は「一人の客が持ち込む銀器は8000ドルから1万ドル相当でしょう。そういう客が押し寄せています」と語りました。

 問題は、古い銀器を鋳直して純度99.9%の銀塊をつくる精錬所の能力が追いつかないことです。米国の大手精錬所であるヘレウス・プレシャス・メタルズ社は「注文が多すぎて、いま持ち込まれても、出来上がるのは数カ月先です」と答えました。

 そうなると、古い銀器や「ウォーキングリバティ銀貨」などの純度の低いコインは行き場を失います。「ジャンク銀」と総称されるこれらの銀製品は、結局、世界の精錬能力の6割を握る中国へ運ばれる可能性が高くなります。

 欧米では長い間、銀は工芸品の材料でした。近年は太陽光発電パネルやコンピューターなどに欠かせない素材として注目されるようになりましたが、それでも工業の材料でした。銀が資産として投資対象に急変したのは、この1年足らずのことであり、金価格が急騰した理由です。でも精錬所は急に増やせないので、家庭に眠っていた銀器は、すぐには銀市場に登場できません。(写真はArt News、サイト管理人・清水建宇)

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