暗号通貨で米国債を買わせる
トランプ大統領が「金保管庫を視察するぞ」と勇ましく宣言したのに、今は沈黙したままであることを、前号で書きました。金は存在するけれど、どうやら大半が貸し出され、米国政府は金を使えないという、専門家の見方も紹介しました。
もしも米国政府が所有するかたちで「8133トン」の金塊が存在するなら、それはドルの信認を高めるために役立ったでしょう。トランプ第一期政権で経済顧問を務めたジュディ・シェルトンさんは、金の一定量と交換できることを保証した米国債を提案しました。また、半世紀前に決められた1オンス=42,2ドルのままの帳簿価格を、現在の市場価格の3400ドルで評価し直すと、7500億ドル(約108兆円)の財政余力が生まれることも論議されました。
しかし、貸し出されたことが事実ならば、もはや保管庫の金に頼ることはできません。米政権はいま、法定通貨や貴金属などの価格と連動(ペッグ)するように設計された暗号通貨「ステーブルコイン」の普及に取り組んでいます。
連動する対象はさまざまで、ドルだけでなく、ユーロ連動型、日本円連動型もあります。また、額面と等しい額の債券や貴金属などの現物資産で裏付けられた「担保型」や、裏付け資産を持たずに資産の価格だけに連動する「無担保型」もあります。
このうちトランプ政権がめざしているのは、米国債などで裏付けられた担保タイプのステーブルコインです。これを普及させるために「ジーニアス法」が提案され、6月に上院で「賛成68、反対30」の大差で可決されました。今後、下院へ送られ、可決されれば、トランプ大統領の書名を経て、法律になります。

ジーニアス法が成立すれば、ステーブルコインの発行体は、米国債などのドル資産を裏付けとして保有するだけでなく、資産の内容を毎月公表しなければなりません。多くの人が安心して使えるように、消費者保護の規制も加えています。
ドル資産担保のステーブルコインの価格が安定し、使い勝手が良くなれば、取り引きの決済や支払い手段として広がる可能性があります。発行量が増えれば、それにともなって裏付け資産となる米国債などの需要も高まります。米政府の狙いも、そこにあります。
ベッセント財務長官は、ブルームバーグ通信のインタビューで、ステーブルコインが広がればどうなるかを問われて、こう答えました。「短期的な見積もりでも、2兆ドル(約286兆円)の米国債および財務省短期証券への需要を生む可能性があります」
「2兆ドル」は、米国が保有する金準備8133トンを現在の価格で評価した「7500億ドル」の、ほぼ2.5倍に相当します。コンピューターが「無」から生み出した記号の羅列である暗号通貨に、2兆ドルの米国債や政府証券を買わせるというこの政策は、まるで手品のようだと、私は思いました。

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しかし、ベッセント長官の「獲らぬタヌキの皮算用」は、すぐに冷水を浴びせられました。国際決済銀行(BIS)が6月24日、「ステーブルコインは健全な通貨に求められる基準に照らして、要件を満たしていない」と公表したのです。BISは「中央銀行の中央銀行」と呼ばれ、世界の金融ルールに大きな影響を与えます。
BISによると、ステーブルコインが「通貨」として機能しにくい理由の一つは、ドル資産で担保されているとしても、「1コイン=1ドル」の交換が完全に保証されていないことです。コイン市場で取り引きされる場合に、コイン価格の変動が避けられないからです。
また、金融ショックが起きて、保有者が換金を急いだ場合、コインの発行体が裏付けとして持つ米国債などを投げ売りして、債券市場の混乱に拍車をかける恐れもあります。
こうしたBISの評価に対して、一般の投資家や市民は関心を持たないかもしれませんが、世界の政府や金融機関は、真剣に受け止めます。お隣の韓国では、BIS発表の翌日、中央銀行である韓国銀行が「ステーブルコインが国内金融市場や経済に潜在的なリスク要因となり得る」と、さっそく警告しました。
世界の中央銀行と各国の金融政策部門が警戒を強めているのです。米国政府の思惑通り、ドル資産担保型のステーブルコインが広がって、米国債を大量に買い上げるかどうかは、まだ分かりません。(写真はBlooming Bit、Money Post、サイト管理人・清水建宇)